親との関係
今日はなんだか気分が重い。
「ああ、きっと親が私を心配しているな」直感でそう感じた。
案の定、母から心配だから実家に帰ってきて欲しいと連絡がきた。
私のこういう直感はよく当たる。
親というものはいくつになっても子供を心配するものなのかも知れない。
でもその心配が子供にとって時に足枷になることもある。
親が嫌いなわけではないし、親が心配してくれる気持ちはありがたいと思う。
育ててもらったことにも心から感謝をしている。
わりと裕福な家庭で物質面では何不自由なく育ててもらった。
でも、時々親は、私の心配というより自分の心配をしているように見えることがある。
親は小さい時から私がやりたいということを、よく反対してきた。
私が親の言う通りに選択することをいつも望んだ。
小学生の頃、私は放課後に自主的に活動が出来ないように毎日習い事をさせられていた。
共働きで親がいない時間に子供が心配な気持ちも分かるが、なんとなく親に信用されていないんだなと小学生ながらに感じていた。
法律や道徳に反することならば反対をされても仕方がないが、そうでもない。
留学をしたいとか、将来こういう仕事に就きたいとか、一人暮らしをしたいとか。
自分が成長したくて行動したいと言う希望は
親の価値観では理解ができないようで、ことごとく反対をされてきた。
いつまでも自分たちの側で自分たちと同じような暮らしの中で、
さらに言えば自分たちがしてきた苦労を避けて生活をして欲しい。
きっとそれが親の願いだ。
優しく言えば、子供に苦労をさせたくないのであろう。
でも厳しく言えば、子供の成長の機会を奪おうとしている。
私は今これから自分が本当にやりたいと思ったことを
やっと自分で見つけて、なんとか形に出来ないかチャレンジしようとしている。
私としては、親には心配ではなく応援をしてほしい。
私だって未知のことに挑戦するのは不安もある。
その不安を煽ることを言って止めようとするのではなく、
よく勇気を出したね。きっとうまくいくよ。出来ることがあれば手伝うよ。応援してる。
大好きな親がこう言ってくれたらどんなに心強いか。
でもそれを望むのは私の我儘なのだろうね。
親には親の価値観と意見があるのだから。
親に色々と心配されたくないのなら親が安心するような、生活をすればいいのだろうが、私の人生だ。親の心配のために生きて終わりにしたくない。
そして例え、私がどんなに社会的に成功しようとも親は心配を止める事はないのだろう。
いつもどこからか心配の種をひっぱり出して心配をする。
そして心配のあまり、私の人格否定をすることもしばしばある。
私はこれが何より傷つく。
親が好きだからこそ傷つく。どこかで分かって欲しいという期待を捨てきれていないからかも知れない。
私は自分を大切にすることに決めた。
人格を否定をし私を傷つける人間とは例え実の親であっても距離をおくことにした。
親を大事に安心させてあげられない自分に後ろめたさも感じる。
だけど折り合いがつかない価値観を持つもの同士は、押しつけあいながら側にいるより離れた方がお互いを大事にしていることになると思う。
きっとまた否定されるのだろうが、再度誠実に今後やりたいと思っていることを説明してみることにする。
それで理解されないのならば、もう後は親の問題だ。
何かの本で新しいことをやるとき必ず反対をする人が出てくるものだとあった。
きっとそれが私の場合は親なのだろう。
どんな事でも、全員に賛成されることはないのだという
一種の諦めも、前に進む時には必要なことなのかも知れない。