不安になって何かいいことはあるのだろうか?
世の中どんどん良くなっている。
将来に漠然とした不安がある時はこう思うことにしている。
少し前のパソコンや携帯がない時代は、遠く離れた人とはほとんど繋がれなかった。今では離れていてもリアルタイムで話せるし、メッセージも気軽に送れる。どんなに距離があっても繋がっている感がある。掲示板やブログでも様々な人の意見が聞けて、会ったこともない人とも悩みを共有したり共感したり、議論したり、1人ぼっちで寂しい時間はパソコンや携帯がない時代に比べると大きく減ったのだろう。
もっと前の戦時中なんか、好きな人や大切な家族とも死に別れ、行きたくもない戦場へ国を挙げて行かされていた。
その前の江戸時代も、辻斬りなどと言って歩いているだけで刀で斬られることも珍しくない。
飛行機なんてないから外国へ行くのは命がけだし、冷蔵庫もないから、お腹壊すことも多かっただろうね。
そのもっと前の平安時代は、好きな人と結婚すら出来ないし、生まれた時から身分が決まっていて、自分がどれだけ頑張っても生まれた家が貧しければ一生貧しい暮らししか出来なかった。
原始人は最も根本の明日の食べ物すら何の保証もない過酷な生活だった。命がけで食べ物を取りに行かないと飢え死にしかない。
こう考えると今の私たちは生き方が自由になった。
きっとこれからもどんどん選択肢は広がり便利に自由になっていくのだろう。
時々このままでは世界はとんでもないことになると不安を煽る人がいる。
未来のことは誰にも分からないのだから、不安になろうと思えば際限なく不安になれてしまう。不安になって何か良いことあるのだろうか?
不安になるから備えが出来る。と言うのかも知れないが、備えは不安にならずとも出来る。
淡々と起こりえる出来事に必要な対策を打つだけ。
想像以上のトラブルは起きたら起きた時に考えるくらいで良いのかも知れない。
過度の心配はデメリットが大きい。
心配というのは心に対して負荷が大きい。
さらにその弊害で対人関係にも悪影響を及ぼす。
心配という名の束縛や過干渉が起こる。
自分の心の心配を他人に安心させて欲しいがために他人を操作しようとしてしまう。
それではうまくいく関係もうまくいかなくなってしまう。
世界はどんどん便利に自由になっている。
それなのに自分の心の心配で、わざわざ自分で自分を不自由にしてしまわないように
心配な気持ちが出てきたら
その気持ちに振り回されず、心配の根源に向き合ってみるようにしたい。