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人生の岐路で感じることを伝えたい

神社参拝が好き

私の好きな場所の一つに神社がある。

 

神社が好きな理由は、掃除をされていて静かで風通しが良いところが多いから。

そしてご神木と言われる大きな木があるから。

まず、その空間が単純に居心地がよく好きだ。

 

相性の良い神社では、誰もいなければ目を閉じてしばらく座っていたいくらい心が落ち着く。

 

神社の神前で私が唱えることと言えば感謝の気持ちだけだった。

 

私にとって神社はお願いごとをする場所ではなく感謝をする場所として利用

していた。

 

私や家族が健康であること。

仕事をさせてもらっていること。

夫と仲良く暮らさせてもらっていること。

その他もろもろを感謝する場所。

 

つい最近、今後の人生でやりたいことが決まってからは、今までの感謝に加え、やりたいことの決意表明も併せてするようになった。

 

今日やっと引っ越しの荷ほどきも一段落ついたので新住所の一番近い神社へ挨拶へ行ってみることにした。

 

有名どころの神社参拝も良いのだけれど、神道では

今住んでいるところから一番近い神社(氏神さま)と生まれた土地の一番近い神社(産土神さま)はとても縁がある神社として大事な場所だそうだ。

 

家から5分くらいの場所にある神社で初めての参拝。

正殿の前で自己紹介をすると

 

『なんでこの地に来た?』と聞かれた気がした。

 

「私この地でヨガの教室をやりたいんです。」 

 

すると強めの風が吹き木々がざわざわ・・

 

いいじゃないか。大いに頑張れ と言われた気がした。

 

勝手な思い込みだけど背中を軽くポンっと押してもらったような気持ちになる。

ありがとう神様。心が晴れる。

 

本当に私にできるのかとか、今の場所で問題はないのかとか、まだ不安がある。

でも実現のために今出来ることを少しずつやっていこう。

前向きな考えになる。

 

これが神様の力なのかも知れないが、私は自分が自分の心と会話をする効果もあるような気もしている。

 

神社の神殿の真ん中にある鏡に自分が映るのを見て改めて思う。

 

結局はやっぱり自分のことをどうにか出来るのは自分なんだ。

 

自分をよく見ることで道は開ける。

 

そう言われたような参拝の時間だった。

 

昔読んだ本でこんな話があった。

 

鏡(かがみ)から我(が)をとると神(かみ)になる。

 

解釈は様々だろうが私はこの話を、

人は誰でもそれぞれ自分の中に神がいる と解釈した。

我を取ることで自分の中の神に会える。

 

我とは自分本位な考え。

 

自分の意見を持つことも大事だが、過ぎると我になる。

人の気持ちを思いやる心を忘れないように生活をしよう。

 

神社に行って改めて思った。

神様ありがとう。これから、ちょくちょく挨拶にきます。よろしくお願いします。

 

今度、夫も連れてこよう。

 

昔からある古い祠も集められている素敵な神社でした。