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人生の岐路で感じることを伝えたい

出来ないことが恥ずかしいと思ってしまうけど本当に恥ずかしいのは…

自分が出来ないことを他人に「私は出来ない」というのには勇気がいる

 

たとえ出来なくて当然というシチュエーションであっても、出来ない自分が恥ずかしいと咄嗟に感じてしまう

 

何でも最初から出来る人なんていない

 

みんな最初は出来ない

 

出来るようになるには、出来る人にどうやったら出来るようになるのかを教えてもらうのが一番の近道なのだが、それがまた、なんだか恥ずかしい

 

小さい頃から

自分のことくらい自分で何とかしなさい と言われてきたからだろうか?

大人になって改めて考えると、自分のことを全て自分で出来る人なんていないのに可笑しな教えだ。

 

その教育の影響なのか、持って生まれた私の性質なのかは分からないが

私は、習い事のヨガ教室ですら「先生、私出来ません。手伝ってください。」と手を挙げるのにとても抵抗がある

 

教室なのだから、出来ない人が通い学ぶ場所なのだから、

出来なくても良いんだと何度も自分を納得させても

 

私以外の生徒が上手に出来ているのに私だけ出来ないという場面になると

途端に焦ってしまう

 

出来ない自分が恥ずかしいと感じてしまう

 

でも本当は出来ない自分は恥ずかしくなんかない

 

出来ないのに、本当はやりたいのに、「やろうとしていないだけ」なんて自分をごまかしている方がよっぽど恥ずかしい

 

まずは出来ないことを認めないと、きっとずっと出来るようにはならない

 

出来ないことを学んで出来るようになろうという姿勢は素晴らしい

 

勇気を出して出来る人にやり方を教えてもらおう

 

教えて欲しいと思っても

図々しいと思われてないかな?と不安が出てくる

 

➡図々しいと思われたら、止めたらいい

 

嫌がられないかな?と不安が出てくる

 

➡嫌がられたら、止めたらいい

 

あれこれ先回りして不安を集めてしまうが

実際に勇気を出して出来る人に教えを乞うと

出来る人たちの大半が、とても快く親切に教えてくれることが多く、驚かされる

 

私に親切に教えたところでその人にはなんのメリットがなくても

「私も出来なくて悩んだから~」ってそんな理由だけで、親切に教えてくれる人が世の中にはたくさんいる

 

なんていい世界だ

 

こうなったら出来ないこと、分からないことはどんどん聞いていこう

 

ずっと一人で考え込んだって知らないことは分かりっこない

 

自分で考えるのは聞いた後でも良いのではないかな

 

聞いた情報を咀嚼し自分の中に落とし込む時は、自分で納得のいくように

しっかり考えよう

 

そして私も、私の知っていることを尋ねてくる人へは惜しみなく教えてあげよう

そうやって親切に教えてくれた人たちへの恩返しをしていけたらいいな

 

そうやって親切の輪が広がっていくといいな

 

自分のことを何でも一人で出来る人ばかりの世界より

そういう世界の方が私は素敵だと思う