next stage

人生の岐路で感じることを伝えたい

ヨガの目的

ヨガの本来の目的は心を穏やかにすることだと私は思う。穏やかとは何にも執着しておらず、生きる喜びだけの純粋な心の状態であること。この状態を仏教では悟りという。この状態になるのってすごく難しい。人間には感情という大きな強い思いがある。この感情があるから人生が彩り豊かで賑やかなのだけれど悟りの観点から言うとこの感情はとても厄介なものなのだ。

特に感情の中でも本能的な恐怖や不安の感情はとても強く気をつけていないと飲み込まれて自分を見失ってしまうほど強くなってしまう。欲の感情も気をつけて監視していないといつの間にかあっという間に欲まみれになっている。

どうやって感情を穏やかにしていけばいいのだろうか?釈迦や昔のインドの偉い方々は考えた。その答えの一つに呼吸で心を穏やかにしようというものが見つかった。

私はそれがヨガなのだと思っている。

私たちの心と体は互い密接に関わり合い影響を与えあっている。

心が緊張すると体もガチガチになる。逆に体が疲れて重い時は心も塞ぎ込みがちになる。相互作用で繋がりあっている。

その繋がりを利用して心を穏やかに変えるのが難しいのならば体から変えて心に影響を及ぼそうということなのだ。体を緩めるためには筋肉を伸ばし呼吸を深く行うことが大事になる。呼吸を深く行うには胸を開き、たくさん酸素を取り入れられる体が必要になる。その体作りのためにアーサナ(ヨガのポーズ)はある。ヨガのたくさんあるポーズはどれも呼吸のしやすい体作りのために作られたものばかり。深い呼吸と柔軟な体で体を緩めることで心に平穏をもたらす。

では自分の心が平穏になったらどうなるというのだろうか?なぜそこを目指すのか?なんのために?

まず自分の心が平穏になると、自分の幸せを心から願えるようになる。そしてやがて自分の周りの人間の幸せも心から願えるようになる。

そこから世界中の生きとし生けるものの幸せも願うことまで出来るようになっていく。そうなると自分も世界も同じように大切になる。自分=世界となる。これを仏教用語で梵我一如という。ヨガという言葉の語源は「つなぐ」という意味がある。自分と世界をつなぐ。これがヨガなのだと思う。ポーズなんてひとつも知らなくても自分=世界と認識出来る人は立派なヨギーなんだ。その認識が難しい人はまずは自分の心の平穏から作っていこう。そのために深い呼吸が出来るようになろう。私もまだまだ自分=世界の認識にはなれていない。けれどもヨガを通して少しずつ自分の執着心は減らしていけているように感じる。世界中の人が世界中の幸せを自分のことのように願えるようになったらすごく素敵な世界になるだろうな。そんな妄想が膨らみます。